佐原弘子オートバイオグラフィー vol.5 〜女流球聖位 連覇〜
目次
前書き
初めて女流球聖位になるところまでの話については、vol.4を読んでいただければと思います(^^)
それまでの話についてはこちらに一覧がありますので、まだ読んでない方は良かったら読んでください!
vol.4でも書きましたが、女流球聖位になってからというものの、「自分のレベルでなってよかったのかなぁ」といった不安というかそういう思いはずっと持ってました。
ハウストーナメントとか相撞きとかで負けると、冗談ででしょうけどいろいろと言われもしました笑
わかってはいたものの、女流球聖位になれて嬉しかった反面、プレッシャーみたいなものはありましたね。
今回は女流球聖位編最終回ということで、長編となってますので、お時間あるときに読んでください(*^^*)
写真もいろいろとあったので、たくさん載せてます♫
最初の防衛戦までの想い – 一発屋でありたくない
そんな感じで周りから言われることで、多少プレッシャーのようなものはありましたが、そもそも自分が取りたかったタイトルでもあるので、しっかり受け止めて次の防衛戦に向けて奮闘してました。
それまでいろいろと大きな大会もありましたが、いいところまでいけていたものの勝ちきれないことが多かったです。
でもそれは、試合で勝手に女流球聖位を背負ってるプレッシャーを感じて負けたわけではなく、試合が始まると結局集中してプレイに挑むので特にプレッシャーは感じてませんでしたね。
それよりも女流球聖位になってからずっと思っていたのが、「一発屋」ではありたくない!という気持ちでした。
防衛戦で負けてしまったら、「やっぱりその程度なのか・・・」って思われるんじゃないか・・という思いが強かったですね。
この防衛戦は絶対に勝ちたい!という思いでした。
そんな感じで日々を過ごしていましたね。
防衛戦前日・当日
女流球聖戦のフォーマットはご存知だと思いますが、女流球聖位になったら前日の東西対決が終わるまで、誰と試合するか全くわからない状況なんです。
またそれがプレッシャーというか、ドキドキしますよね。
結果2012年に戦った米田さんがあがってきました。
2011年の女流球聖位で、2012年に米田さんに勝って私が女流球聖位になったわけですが、当然彼女の実力は他の試合とかでも幾度となく対戦してましたからわかってはいたものの、またここまであがってくるってことは、やっぱり相当強い人だ・・・という思いが強かったですね。
試合当日のことはちょっとあまり覚えていないですけれど、今までと変わらずがむしゃらにやって。
でも防衛は絶対したい!!という思いで。
結果は確か記憶が正しければ、4セット – 2セットでなんとか勝つことができまして。
(YouTubeに動画あるか探してみたんですが、見当たらず、、、誰か知ってる方いらっしゃったら教えてください!)
この年も沢山の人が応援に来てくれてました。
応援しに来てくれた方に勝利を届けられてほんとに良かった〜!っていう思いは、この時もものすごく思いました。
そして、防衛したよ!という想い。
防衛したから女流球聖位と認めてくれてもいいよね?という想い。
そんな想いをものすごく感じてました。
私なんかが女流球聖位になっていいのだろうか・・という思いはちょっとは和らぎました笑
ちょっとプレッシャーから開放されて、気持ちはスッキリしてましたね。
ただ、まぁそれでもハウスとかで負けたりするといろいろと言われましたが、それはつきものですね。笑
2回目の防衛戦に向けて(第6期女流球聖戦)
最初の防衛戦に向けてのときは「どうしても勝ちたい!防衛したい!」という思いで日々過ごしていたので、必死こいてたんですけど、次(2014年)の防衛戦に向けては「負けたらどうしよう・・」という不安が出てきたんです……。
防衛戦もいつかは陥落すると思っていましたが、みんなが応援に来てくれるのに負けたらどうしよう・・嫌だな・・というマイナスの感情になって。。。
その場面とか、その場に立っている自分を想像するだけで憂鬱になったり、逃げ出したくなったり、誰かに代わってもらいたい・・・早くその日が過ぎて欲しい・・勝っても負けてもいいから・・・というプレッシャーが襲ってきたんです。
特に年明けからはずっとそういうことを思いながら日々過ごしてました。
例えは違うかもしれませんが、初めての手術で手術日が決まっているその日までの過ごし方というか。笑
そんな感覚でした。
2回目防衛戦の対戦相手は現平口結貴プロ
そんな思いで日々過ごしていて、前回同様誰と試合するかは前日の東西対決が終わらないとわかりません。
でも、東の大会でまだその当時は高校生だった平口結貴さん(現平口結貴プロ)が名だたる人をバッタバッタと倒して勝ち上がってきたんですよね。
当時はそれほど情報が出回る時代ではなかったので、あまり彼女の情報もなく……
正直何者だ?!ってなってました笑
しかも北海道から出てきて関東にいる猛者たちを倒してマグスミノエに来るわけですからね。
そして、東西対決も勝って、対戦することとなりました。
得体のしれない高校生との対戦。正直ちょっと不安でしたね。
試合の話をする前に・・・
実は試合のことよりも鮮明に覚えてることがありまして。
試合当日の朝、平口さんと挨拶をして。
これから試合をやろうというときに、平口さんがこちらにトコトコやってきて。
何を言われるかと思ったら「蝶ネクタイ曲がってますよ」って言いながら、私の蝶ネクタイを直してくれたんです笑
え?!何このハニートラップ的な可愛さは!笑
そしてもう一つ、試合の合間ですよ。
セットの間は10分か15分くらい休憩があるんですけど、対戦者同士がその間に話をすることなんてそうないんですよね。
そのセットの間の1回目か2回目のときに、また彼女がこちらにやってきて…w
何を言われるかと思ったら「あとでいいので連絡先教えて下さい」って笑
え?!このタイミング?!ってなりますよねw
なんかそういうところもすごく面白くて可愛いなって思っちゃいましたw
憎めない性格というか。
試合はというと・・・
話逸れちゃいましたが、試合自体はお互い3セットずつ取って、しかも最終セットは6-6のヒルヒルで。(7ラック先取り、4セット先取)
最終ラックはマスワリで終えれたのですが、もうほんとに緊張しかないですよね。。。
なんとか勝てたものの、取ったラック数でいうと彼女のほうが全然多かったです。
私が取ったセットのときはほぼ6-6とかまでいって。
彼女が取ったセットの時は1-7とか3-7で負けてた気がします。
内容的にも負けてた気もします泣
その時の思いとかは、ビリヤードデイズさんにインタビュー記事がありますので、よかったらそちらも見てください笑
(試合終わってすぐなので、鮮明に話ししてます笑)
ビリヤードデイズさんによる記事
最終ラック動画
2014年も防衛できて、ホッとした部分もありましたが、最後のワンラックで勝敗が決まるところでなんとか取れたものの、負けたらこれは相当キツいだろうなぁって思いましたし、自分が負けても全然おかしくない試合でした。
でもそのすごい紙一重で勝てたんだから、ここからの一年は女流球聖位として胸を張っていかないといけないという気持ちで、自覚を持ってやったと思います。
3回目の防衛戦
そして2015年の女流球聖戦に向けても、その年も変わらず年明けにはプレッシャーが襲ってきまして笑
毎年同じことの繰り返しでしたね。
年明けから憂鬱な気分になって。
そしてまた前日の東西対決が終わらないと対戦相手がわからない状況で…
2015年は米田さんが勝ち上がってきて、また米田さんとの対戦でした!
翌年のことは後で書きますが、実は女流球聖戦では、米田さんと結貴ちゃんとしか試合をしてないという笑
この年も同じ感じで試合に挑んでなんとか勝てましたが、また女流球聖位になれてよかったという思いと、なにより応援に来てくれた人の前で勝てたというのはものすごく嬉しかったですね。
4回目の防衛戦、そして敗退
女流球聖戦への思いはほぼ毎年同じように、またまた年明けくらいから憂鬱になりまして笑
この年は2年前に対戦した平口結貴さん。
前に書いた通り、今までの対戦相手は米田さんか平口さんでw
この2人が勝ち上がってくるということは、やっぱり強い相手で、いつかはリベンジ食らって負けるんだろうな・・・とは思ってました。
当然防衛したい気持ちはありましたが、そう長くは続かないだろう・・とも思ってましたね。
案の定ご存知の通り、この年に平口結貴さんに負けました!
2年越しの彼女はとても強くなってた、と実感しました。
試合結果もたしか1セットか2セットくらいしか取れず、だいぶビハインドで負けちゃいましたね。
2年前より実力あげてきてるなと思いましたし、戦い方とかきっとすごく学んできたんだろうな・・・と思いました。
敗退しましたが、結果は結果なので受け止めて彼女が頑張ったことは称賛したいという気持ちでわりとスッキリしました。
そして応援に来てくれた人たちと食事に行ったんです。
前年までは勝っての食事会でしたが、今回は負けて初めての応援団の人たちとの食事で。
みんなは「よく頑張ったよ」「おつかれさま」「残念だったけど、4期も女流球聖位やったんだし」といった労いの言葉をかけてくれたのを覚えてます。
その頃になってだんだん悔しさがこみ上げてきて……
みんなの前でボロボロ泣きましたねw
もう大泣き笑
せっかく応援に来てくれたのにほんとごめんなさいって。
謝ることじゃないでしょ頑張ったんだから!って言われても、ずーーっと泣いててw
自分だけじゃないというのが悔しかったんだと思います。
こうやって沢山の人が応援に来てくれて、一緒に戦ってくれてるという気持ちになっていたから、余計に悔しかったです。
自分の不甲斐なさというか。
そんな第8期女流球聖戦でした。
敗退その後・・・
終わって数日は悔しさもありましたが、しばらくすると肩の荷が下りたというか、ちょっとスッキリして、また一からやり直そうという気持ちでした!
反省点もたくさんあったし、いつまでも落ち込んでられないですし、もともとポジティブな性格なのでいつまでもくよくよしてるのは性に合わないんですw
その後、第9期、第10期も変わらず挑みましたが、どちらも東日本女流球聖戦で3位タイで終わり東の代表にはなれず…翌年の第11期(2019年)では東の代表になれました。
東西対決も制して、その時女流球聖位だった丸岡さんと対戦!
第11期(2019年)女流球聖戦
5年前ということでちょっとははっきり覚えてます笑
丸岡さんとは昔からの友達でもあるので、試合に対する緊張や闘いにくさなどはそこまで無くて精一杯力を出し切ろうと思ってました。
お互いセットを取ったり取られたりして、2-2になったのですが、先に3セット目を取って…
次のセット取ったら勝てる!という状況で、『次のセット取ったら勝てる!』と思ってしまったんですよね。
その心の油断というか、隙のようなものが一番の天敵でした。
案の定、次のセットは取られて、3-3のフルセット!ピンチ!!
そして結局次のセットも取られてしまって、負けてしまいました泣
試合の途中で丸岡さんの足がつって、痛そうにしていたので大丈夫かな…と心配になったのを覚えてますw
そして……アマチュアからプロへ
これで私の女流球聖位への挑戦は終わりです。
というのも、この年の年末にプロ試験を受けて、晴れて2020年にJPBAプロになりました。
ここで過去のブログを読んだ方は「あれ?」と思うかもしれません。
そう、プロになるつもりは今まで全く無くて…
今まで女流球聖位を獲ってプロになっていった人もいる中、私は女流球聖位になってもプロになりたいとは思うこともなくずっとアマチュアでいたんです。
それでもこの年の年末にプロになろうと思い、プロになりました。
なぜプロになろうと思ったのかは、また気が向いたら書くかもしれませんw
今まで女流球聖位にフォーカスして書いてきましたが、実はもう一つ別の目標もあって……
「女流球聖位」「アマナイン」「アマローテ」「国体」の4つを取るとグランドスラムって言われてたんですけど、それも達成したかったんです。
次回はその話をしようかと思います。
女流球聖位については今回で終了となります。
長い話となりましたが、今まで読んでくださった皆様ありがとうございました!
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